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池之小町の最近の俳句

  🌖 南風誌 ・ 雪月集掲載  🌠

 
 
R6年「鷹」8月号 
 俳壇の諸作1句掲載
  していただきました
 
 <学食の大きなカツや鳥の恋>
 
夕雨音瑞華さま 句評ありがとうございました


 
卯月紫乃さん・五月ふみさんのブログに、時折私の句を載せてくださり有り難うございます
 


 
各号の2ヶ月前に投句するので (毎月の締め切りは5日)
例えば 4月号は、ほぼ1月か2月に作った句になります
 
  🦋 拙い俳句ばかりですがご覧ください 🦋
 
2025(令和7年)
 
6月号  「雀隠れ」
 
  逢ひに行く雀がくれに靴濡らし
 
  紅梅や無骨な幹を祖として
 
  踏めば哭く昨夜に積りし涅槃雪
 
  桜観て長寿のウオンバット見て
 
  風の香や水上舞台に笛ながれ
 


 5月号 「夜の梅」
 
  楽茶碗手にどつしりと寒明くる
 
  淡雪をはじきて梅はまだ固し
 
  衣の香り夜の梅へとまぎれけり
 
  半世紀経たる万博巣箱かかぐ
 


4月号 「福 助」
 
  福助の頭撫づれば寒明くる
 
  春待つや座禅の座布を縫ひながら
 
  龍天に護摩火ちろちろ舌を出し
 
  窓ごとに馬づらぬつと春日さす
 
  のどかに鳴るよ馬術部の
         インターフォン
 
3月号 「水脈の波」
 
  蘆枯れて両岸を打ちぬ水脈の波
 
  泳ぎつつじろつと河豚は女見る
 
  障子貼つて猫に厳しく言ひきかす
 
  墓石に隠しクルスや花柊
 
  寒燈にイブニング売る新地街
 


 
2月号 「緋毛氈」
 
  橋くぐる炬燵ふとんに顔伏せて
 
  渡殿の緋もうせん踏む冬日和
 
  蓋ねぢてびくともせずに風邪心地
 
  拝領の太刀のレプリカ冬座敷
 
 ネイルサロン小ぶりの熊手飾りけり
 


 
1月号 「初もみぢ」
 
  松の影踏めば秋日のうごきけり
 
  露けしや鈴音小さき弁財天
 
  筧からさやけき音の落ちにけり
 

  転けて起きてすばやき秋の
          ピクニック  

 
  不揃ひの石段のぼり初もみぢ
 


 
2024(令和6年)
 
12月号 「子規忌」
 
  朝顔の種がとびちる子規忌かな
 
  ひらかなの一首掛けある月見寺
 
  走り根に梯子かたむく松手入
 
  捥ぐ柿を落さじと受く阿吽かな
 
  曼荼羅に逢うてこと足る秋日和
 


 
11月号 「けふも晴」
 
  朝顔のひいふうみいようけふも晴
 
  竜淵にひそみて雑魚につつかれん
 
  鉛筆の終の長さを削る秋
 
  霧晴るるまではこの世に吾独り
 
  露けしや瓶になごりの岩絵具
 


 
10 月号 「小町草」
 
  小町草謡の会の屋敷跡
 
  猩々蝿ころがる缶を踏みつぶす
 
  吾が入れば猫がとびだす片かげり
 
  朝ぐもりフロントガラスに鳥の糞
 
  制限速度だれも守らず夾竹桃
 


 
9月号  「夜の秋」
 
  耳と鼻かすかに動き夏の霧
 
  雨音を消しに集まる雨蛙
 
  八方へ涼しくまはるアガパンサス
 
  カクテルの底の爆弾さくらんぼ
 
  一匹には広き水槽夜の秋
 


 
8月号  「老い力」
 
  唯我独尊夏うぐひすの老い力
 
レコード売つて五月の雨に打たれけり
 
  黒色は喪にも晴にも更衣
 
  一帆迅し百のヨットを従へて
 
  山開五千石碑に酒献げ
 


 
7月号  「夏来る」
 
  軋む櫓にあはせゆるるよ青蘆原
 
 互ひちがひに脚を投げだし舟あそび
 
  こどもの日鳶に弁当狙はれて
 
  穴に塩つぎつぎ馬刀をたぶらかす
 
  舟伏せて淦くろぐろと夏来る
 


 
6月号  「春 風」
 
  先生は春風ふはと現はるる
 
  ランドセルの底にパン屑卒業す
 
  春の裸馬泥けりとばし走れ走れ
 
  雨しとど吸ひたる古墳草青む
 
  まほろばや古草若草うちそよぎ
 


 
 
5月号  「鳥の恋」
 
  学食の大きなカツや鳥の恋
 
  火が火にかぶさり枯葦焼き尽す
 
  北窓をひらき子の声鳥のこゑ
 
  意を決し渡る火の行冴返る
 
  茹で卵ふたつに割れば白椿
 


 
 

 

令和5年 南風10 月号に掲載

 

 特別作品 『葛の花』

 
般若面外して汗と涙拭く
 
地謡に座してふくらむ夏袴
 
黙念と着す装束秋に入る
 
光る君とちぎりし秋の蛍かな
 
名鐘の聲や月下にカケリ舞ふ
 
井の水に映すおもかげ花すすき
 
秋扇や江口うたひて弔らはん
 
持ちかぬる恋の重荷や葛の花
 

 
 
 いよいよ夫は能楽師として約70年間の務めを終える時が来た。定年はないので、体力気力が続くかぎりできる仕事ながら、限界を悟って自ら幕を引かねばならない。私もその付人として、二人三脚で頑張って来た。芸道に精進することが第一で、平穏な生活は望めないとの覚悟で今日まで来た。
 コロナ禍が長引いたことで、活動が制限され、想像以上の打撃をうけたことも個人的な状況と相まって、その時期を早めたように思う。
 しかし、明治維新までは大名の庇護のもと恩恵をうけて来た能楽師が失業の憂き目に遭い、世界大戦中はもとより戦後も甚大な危機に瀕した能を復興された先達のご苦労に思いを馳せれば、私ごときは苦労の内に入らないのは言うまでもない。
 年がら年中、旅暮しのような日常に終止符を打ち、今は謡の教室のみに専念している。これも年相応だと有り難い。